2011年9月15日木曜日

『エスキモーになった日本人』

1972年、エルズミア島遠征の調査目的でグリーンランドへ飛び立った
大島育雄さん。(『エスキモーになった日本人』著:大島育雄)
一度日本に戻ってきたものの、エスキモーとともに過ごした極地での暮らしが忘れられず、
運命に引き寄せられるようにシオラパルクにふたたび戻る。

高度に発達した狩猟文化や極寒の地で生きるためのさまざまな知恵と工夫、
大変な仕事だけれど誰に命令されることもない猟師の仕事や、
自分の責任において自由に生きられる生活に魅了され、
山ではなく、猟師として、エスキモーとして生きることを選ぶ。
(エスキモーの女性と結婚し、1男4女をもうけ、現在62歳!
先日のドキュメンタリー番組『日本人イヌイット 北極圏に生きる』では孫のイサム君と
いっしょに狩りに出かけていました)

ちょうど同じ時期、犬橇の習得のために植村直己も滞在しており、
一緒に過ごしたエピソードも興味深かった。
鬼の形相で犬にお仕置きする植村直己とそれを見世物のごとく見て笑うエスキモーたち…
(『極北に駆ける』 も今読み返したら面白いだろうな)
エスキモー流の仰天トイレの作法、慣れると好物になるという発酵料理キビヤ。
胃腸に自信がないひとや、ヤワなハートじゃやっていけないってことだけは確かなようです。

そういえば、リトルワールド(犬山市にある人類学博物館)から委託され収集したという
エスキモーの民具500点の内容も気になるところ。
(リトルワールド、10年くらい前に行ったけれど、ぜんっぜん覚えがない…)


エスキモーの奥さんと子どもを連れて暮れに東京に帰った時、
奥さんのアンナさんが「日本は寒い」と言ったのが笑えたなあ。
グリーンランドでは外が零下40℃の真冬でも、家の中は半袖でも大丈夫なくらい暖房する。
東京はこたつと小さなストーブを使うけれど、部屋の中の温度はけっこう低い。
これはわたしも同じ経験をしているので、すごーくよくわかります。
はじめて冬の東京の家に泊まった時の寒さと言ったら、、、
ひとりでブルブル震えており、不思議がられました。
エスキモーのひとも北海道のひとも寒さに強いと思われがちですが
部屋の中が寒いのは耐えられないのは一緒なんだ…!
と、変なところで感動してしまいました。
(でも、昼間に気温が10℃にもなると「暑い」と感じるのだけは、
やはり極北のひとならではの感覚かな)


資源が限られた極北で生きるために、エスキモーは野生動物を食べ、
その毛皮を利用しブーツや衣服をつくる。
それでも毛皮は余るので、それを必要なひとたちに買ってもらい
ささやかな現金収入を得る。

その毛皮も今はいろいろな制限がかけられ値段がどんどんさがってきているのが現状だという。
自信は安全圏にいて「愛すべき動物」のために正義感を燃やすのは
なんと簡単なことだろう、自分たちのモラルを強引に押しつけ、極限で生きている
少数民族のわずかな貴重な利益をそこなうのは暴力だと大島さんはいう。

自然を畏れ敬い、自然を真に理解しているひとびとの言葉はシンプルで心に響く。
猟師というのは尊い仕事だなあ。
煩悩にまみれた現代社会に生きるわたしは、
このひとたちの存在を、言葉を、もっと知りたいと思うのです。





























カナダのイヌイットの暮らしを記録した写真集。

ちなみに、「エスキモー」という呼称は、カナダでは差別的用語とみなされ
(カナダ北部に住むクーリー・インディアンが“生肉を食う連中”の意味で
侮蔑的に呼んだ言葉だった)「イヌイット」と呼ぶようになっていますが、
グリーンランドではそういう含みをもって用いられておらず、
「イニュイ」とか「カラーリ(グリーンランド人)」が一般的だそうです。